少しずつ周囲がおかしくなっていく。幸せの概念が消失する美しい映画。
映画概要
- 2019年公開
- 制作国:オーストラリア、イギリス、ドイツ合作
- 監督:ジェシカ・ハウスナー
- キャスト:エミリー・ビーチャム、ベン・ウィショー、ケリー・フォックス
バイオ企業で新種の植物開発に取り組む研究者のアリス(エミリー・ビーチャム)は、息子のジョー(キット・コナー)と暮らすシングルマザー。彼女は、見た目が美しいだけでなく、特殊な効果を持つ真紅の花の開発に成功した。その花は、ある一定の条件を守ると、持ち主に幸福をもたらすというのだ。
その条件とは、1.必ず、暖かい場所で育てること、2.毎日、かかさず水をあげること、3.何よりも、愛すること。会社の規定を犯し、アリスは息子への贈り物として花を一鉢自宅に持ち帰り、それを“リトル・ジョー”と命名する。花が成長するにつれ、息子が奇妙な行動をとり始める。アリスの同僚ベラ(ケリー・フォックス)は、愛犬のベロが一晩リトル・ジョーの温室に閉じ込められて以来、様子がおかしいと確信し、原因が花の花粉にあるのではと疑い始める。アリスの助手、クリス(ベン・ウィショー)もリトル・ジョーの花粉を吸い込み、様子がいつもと違う。何かが少しずつおかしくなっていくその違和感は、果たしてこの植物がもたらしたものなのか…。
公式サイトより引用
和楽器とビビットな色彩

『リトル・ジョー』の内容は独自性の高い作品ですが、映像、音楽でも特異的です。
画面の色彩は、研究員たちが羽織っている白衣のミントグリーンや白と花の赤色を基本に物語が展開していきます。施設の内装や服装はデザイン性があり、時代背景をわからなくしているため、おとぎ話の世界を演出しているようです。主人公アリスのマッシュルームヘアーも特徴的ですね。
音楽は、日本の作曲家、伊藤貞司のアルバム「Watermill」の収録曲を使用しており、ストーリーに新たな展開を見せるときなどに、特徴的な和楽器やお囃子の音が鳴り始めたりと要所要所で不気味さ空恐ろしさが感じられます。
異変がゆっくりと日常に浸食する怖さ
本作は、花に関わった人間に何らかの異変が生じた“ように見える”展開が続いていきます。その“ように見える”という曖昧な事実を見せていく点は、観客を不安にさせるサイコ・ホラーといった感じ。

また、作劇の手法で「信用できない語り手」を用いており、アリスが頻繁にカウンセリングを受けているシーンが挿入されるのも意味深で、観客側に誰を信頼していいか分からなくさせ、疑心暗鬼になるように仕向けている点も不安になります。(楽しい)
アリスは年頃の息子・ジョーが次第におかしくなっていく様子を見て心配しますが、同僚からは「思春期ならよくある事」とあしらわれます。様子がおかしくなってしまったように見える原因は、本当に思春期だからなのか、花のせいなのか、それともアリス自身なのか…。
アリスにとっては、息子のジョーも、花のリトル・ジョーも大切だからこそ疑心暗鬼になっているさまが、日常生活でのよくある他者への理解ができない悩みと重ねられて怖さがより大きく感じました。
幸福とは何か
「息子が何を考えているか分からない」は子育ての中で親が直面する出来事で、そこに「人を支配するかもしれない花」の存在が介入することで、アリスの内面にある葛藤が見えてきます。シングルマザーとして、研究の傍ら子育てをするアリスは、ジョーへの執着と同時に、解放されたいという欲望も持っています。前述にも書きましたが、息子も花も大切な存在であるから、2つの間で揺らぐさまが、アリスの内なる葛藤だと思いました。

リトル・ジョーは人間を幸せにするために生まれた花であり、支配された“ように見える”人々は幸せそうに過ごしている…。客観的に見ればそれは奇異的ですが、「幸福の概念」は個人から来るもので、他者が正しいと判断することは不可能だと思います。
最後に

映画を見ているうちに支配されることが善なのか、悪なのか、分からなくなりました。物語には急な転換などはなく、ゆっくりと日常が流れていき、その中の些細な異変がポツポツと散りばめられている感じでした。美術館に行くような気分で鑑賞とちょうど良いかも。